大江戸曲者列伝 幕末の巻

大江戸曲者列伝 幕末の巻

 「大江戸曲者列伝 太平の巻」、「大江戸曲者列伝 幕末の巻」、「幕末バトル・ロワイヤル」、「井伊直弼の首 : 幕末バトル・ロワイヤル」、「天誅新選組 : 幕末バトル・ロワイヤル」、「慶喜の捨て身 : 幕末バトル・ロワイヤル」、「勝海舟の腹芸 : 明治めちゃくちゃ物語」、「維新の後始末 : 明治めちゃくちゃ物語」の8冊の新書は野口武彦氏が2003年6月より週刊新潮に掲載してきたコラムを新潮新書として発刊したものである。最初の2冊「大江戸曲者列伝」の「太平の巻」と「幕末の巻」、4冊の「幕末バトル・ロワイヤル」、そして2冊の「明治めちゃくちゃ物語」と3つの部分に分けることができる。

 野口武彦氏は昭和12年(1937)東京生まれの文芸評論家で国文学者。昭和37年(1962)早稲田大学第一文学部を卒業。在学中は全国学自治会連絡会議(全自連)のリーダーであった。その後東京大学文学部を卒業し、東京大学大学院博士課程を中退。神戸大学文学部助教授を経て、教授。平成14年(2002)の定年退官後は名誉教授。

 ハーバード大学客員研究員、プリンストン大学客員教授を務める。昭和48年(1973)に『谷崎潤一郎論』で亀井勝一郎賞、昭和55年(1980)に『江戸の歴史家』でサントリー学芸賞、昭和61年(1986)『「源氏物語」を江戸から読む』で芸術選奨文部大臣賞、平成4年(1992)『江戸の兵学思想』で和辻哲郎文化賞、そして平成15年(2003)に『幕末気分』で読売文学賞を受賞。

 専攻は近世儒学であるが、31歳の時に『三島由紀夫の世界』を上梓、『石川淳論』、『谷崎潤一郎論』を出すなど文芸評論家として活躍、さらに『洪水の後』など小説をも手掛けている。昭和46年(1971)に最初の論文集『江戸文学の詩と真実』を刊行、その後も、近世の文学、思想と近代文学について執筆活動を続ける。一般向けに近世史を書く仕事が増えてきたのは1990年代以降のことである。

 この項から8回に亘って野口武彦氏の歴史コラム集を取り上げる。この書を選んだのは幕末維新史を俯瞰する上で非常に役に立つからである。今から150年前の変革期には、実に多くの登場人物が現れ消えていく。これが魅力あふれる幕末維新史を生み出している。例えば長州藩では桂小五郎高杉晋作を中心に互いに関連して討幕という大きな潮流となっていく。また八月十八日の政変により、政治的な状況が一変したことによって天誅組は壊滅してしまう。このように幕府、朝廷、諸藩の所属する人々から脱藩浪士までが、多種多様な発言を行い自らの信念に従い実に勝手な活動を行っている。これが幕末維新期の歴史が持つ特殊性なのかもしれない。余りの人物の多さによって、根幹となる史実の理解でさえも断念してしまう人が増えていると聞く。一年以上かけて製作放映される大河ドラマも、幕末維新を取り上げると歴史が分からないので興味が持てないという声も上がっているようだ。そういう意味でも明治元年を中心とした30年間で生じた開国と攘夷、尊王、佐幕、公武合体、討幕から、復古と革新、殖産興業、富国強兵、海外進出などの大きな潮流からこの時期に活躍する主要人物\xA4

旅堝阿魎蔑❹棒睫世垢觸颪ⓘⓜ廚任△襦◀修量榲Ľ忘任眦ⅴ腓垢襪發里ⅹ綉④裡減鈇任△襪塙佑┐襦◀泙燭海譴ǂ藺與納]困痢崚傾弔寮さĄ廚籠蘇拜品槪痢峩畧て䡄楾駝瓜法廚鯑匹濟呂瓩茲Δ塙佑┐討い訖佑砲箸辰董△海僚颪藁匹㌧仍灰❺ぅ匹量鬚鮹瓦辰討唎譴襪世蹐Α\xA3

 先にも触れたように「大江戸曲者列伝」は、「週刊新潮」に掲載されたコラムを新書にまとめたものである。野口氏は2003年6月から2005年8月にかけて『OH! EDO物語』というタイトルで人間の煩悩の数とされる108回に亘って連載を続けている。これを83話に絞り込み、これを時系列に並べ直し、前半を「太平の巻」後半を「幕末の巻」として出版している。つまり連載時はわざとランダムに書いており、1コラムで1名の人物を取り上げることを原則に書き進めてきた。新潮社のHPにも自ら述べているように、一回の連載分が四百字詰め原稿用紙で七枚半弱、つまり3000字であり、これがゴシップを書くのににぴったりであると述べている。このことは読む方にも適度な緊張を持続するのに心地よい長さでもある。また執筆にあたっての心構えを下記のように記している。

 昔まだ若かった頃は、シュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』を読んで感動し、いつかこんな風に歴史の決定的な瞬間を描いてみたいと思っていた。コンスタンチノープルの陥落とか、ナポレオンが敗れるワーテルローの戦場とか、レーニンの封印列車とか。

 年を取ってからは好みが変わった。もちろん、そういう壮大な場面を書くのは自分のガラでないと悟ったこともある。生まれつき美談向きにできていない。しかしそれ以上に、だんだん理解してきたのは、歴史の決定的な場面がそれにふさわしい荘厳さで立ち現れることなど滅多にないという《法則》である。歴史のドラマはドラマティックにあらず。天の一角から光はさしてこないし、フルオーケストラのBGMは鳴り響かない。

 このような、どんな偉人英傑に対しても変わらない筆者の「斜め下から目線」が随所に現れていることもこの書の魅力の一つである。

 「大江戸曲者列伝 太平の巻」の第一章 黎明は「大学教授の元祖」「林羅山」から始まり、第三章 風雲の「攘夷のコスト」「川路聖謨」で終わる。江戸時代初期の儒者林羅山天正11年(1583)、幕末の名吏・川路聖謨は享和元年(1801)生まれである。この間の200年間が太平の時代であったが、最後に三条実万徳川斉昭そして川路聖謨を取り上げるなど、もう既に幕末は近づいている。そして「幕末の巻」も「ことわられた密航」の「吉田松陰」で始まり、「福祉を食いつぶす」「井上馨」で終わっている。嘉永6年(1853)6月3日のペリー来航が、「太平の巻」と「幕末の巻」の区切れ目となっている。

■ NDL−OPAC国立国会図書館雑誌記事索引

書名大江戸曲者列伝出版地 国名コードJP出版地東京出版社新潮社出版年2006大きさ 容量等220, 9p ; 18cm注記年表ありISBN4106101564価格720円JP番号20989275巻次幕末の巻出版年月日等2006.2件名 キーワード日本--歴史--江戸時代--伝記NDLCGK13NDLC2NDC 8版281.04 : 日本対象利用者一般資料の種別図書言語 ISO639 2形式jpn : 日本語NDL-OPAC URLhttp://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008097391-00

■ 目次

1第一章急転2ことわられた密航吉田松陰3ペリーに抱きついた男松崎純倹4能ある鷹は爪を剥がす岩瀬忠震5口べたの老中堀田正睦6初めは処女のごとく梁川紅蘭7人気者トミー立石斧次郎8首を失った元首井伊直弼9不幸は友大谷木醇堂10虫歯の内親王皇女和宮11ノーといえた遊女岩亀楼喜遊12第二章狂乱13殺しのライセンス岡田以蔵14昔はテロを辞さず伊藤博文15幕末の二重スパイ大庭恭平16天下は舌先三寸清河八郎17学習院過激派中山忠光18花のおパリ池田長発19先祖雪辱田沼意尊20本当のワル青木弥太郎21揉みくちゃ外交官山口直毅22泥まみれの赤備え井伊直憲23英霊の帰還松平友之丞24旗本俸禄半減大久保彦左衛門25龍馬を斬った男今井信郎26第三章残影27クーデター大好き岩倉具視28江戸城に放火せよ伊牟田尚平29軍師の末裔竹中重固30お小姓は見た徳川慶喜31大坂城を燃した男妻木頼矩32神戸の人柱滝善三郎33薩摩の工作員益満休之助34秀才指揮官大鳥圭介35傲慢の報い世

良修蔵36最後の江戸町奉行佐久間信義37米百俵の原因河井継之助38北軍のよしみ榎本武揚39老人隊奮戦す佐藤与左衛門40上官はクリカラモンモン梶原雄之助41福祉を食いつぶす井上馨42あとがき43年表44人名索引

新米の季節に購入 - のぶまさのプヨプヨ申松山備忘録

ついに購入(T_T)

総務省のおばはん、もとい、おねえさん大臣はんの一言で、

返礼品の縮小がはじまったふるさと納税

今年も何件か寄付していますが、お目当ての返礼品はお米。

むかしは、1万円の寄付で20キロはざらでしたが、今はほとんど姿を消しました。

一部、総務省のおばはん、もとい、アネゴ大臣はんからにらまれている自治体には

まだありますが、『品切れ』のマークがついています。

それはともかく、『今年はふるさと納税で米は賄う』という意気込みで

行ってきましたが、新米の季節で発送が待たされて、穴が開きました。

それで、ダダ君が昨日、ついに購入してきました。

来年は、寄付額をまとめて、毎月発送という自治体にしようかな

がんばれ、農業!佃製作所がついているぞ!

改)越後 春日山城 ( 歴史 )

?天守閣跡?本丸実城を望む?井戸郭?二の丸より実城?林泉寺?監物堀

訪問日:2014年4月

所在地:新潟県上越市

 長尾為景は文明18年(1486)越後守護代・長尾能景の嫡男として生まれた。永正3年(1506)父が越中一向一揆との般若野の戦い越中守護代・神保慶宗の寝返りにより討死したため家督を継ぐ。

 永正4年(1507)主君である越後守護・上杉房能の養子の定実を擁して房能の館を襲撃、房能は兄の関東管領上杉顕定を頼り関東へ向かう能房を天水越で自刃させる。

 これに反発した本庄・色部・竹俣ら揚北衆中条藤資らの支援を得て降し、永正5年(1508)室町幕府に定実の越後守護就任を認められた。

 永正6年(1509)関東管領上杉顕定と憲房父子が報復の大軍を率いて越後に侵入し、敗れた為景は定実とともに越中に逃れた。為景は陸奥の伊達尚宗に援軍を要請し、越後奪還を目指す。

 永正7年(1510)越後を回復した為景は退却する関東管領勢を追撃し、長森原の戦いで顕定を討ち取った。為景は定実に娘または姉妹を後室としてこれを傀儡にした。

 これに反発する越後国内の揚北衆や父の敵である神保慶宗との争いが絶えなかったが、永正17年(1520)には新庄の戦いで慶宗を破り自刃させている。

 享禄3年(1530)虎千代(上杉謙信)が誕生、天文5年(1536)嫡男・晴景に家督を譲っているが、その理由はよくわかっていない。

 天文7年(1538)嗣子のない定実の後継者として陸奥伊達稙宗(稙宗の母は定実の実姉か)の子・時宗丸(伊達実元)を迎えることをめぐり越後国内の混乱は拡大する。

 為景は入嗣に賛成していたようだが、実元の兄・伊達晴宗がこれに反対して稙宗を幽閉したことから、南奥羽を巻き込んだ天文の乱に発展し、実元の入嗣は頓挫した。

 為景は天文11年(1543)58歳で死去、晴景も越後を纏めることはできず、天文17年(1548)景虎上杉謙信)が家督を相続する。

 

 

且緩々の、万願寺トウガラシ

 おはようございます(^^♪

廃校になった小学校の運動場、駐車場になっています。

右手の方に校舎が残っています。

  昨日行った、且緩々(シャカンカン)で買った万願寺ししとう

  新鮮さがあって、美味しそうだったので買い求めた。

  黒いところがあるけれど、これは万願寺の特徴だそうです。

  無農薬、無消毒。”柔らかくて美味しい”と書いてあります。

  「万願寺とうがらし」のおかか炒め

  ”万願寺とうがらし”を塩コショウ少々、してオリーブオイル

  で炒めて色よく焼けたらかつおぶしを入れ少し炒めて醤油少々

  出来上がり。とうがらしと言えど、辛くないです。

  沢山食べられます。

ご訪問有難うございます

ステロイド

水虫だろうと診断され抗菌薬を塗っていたのですが、明らかに悪化したため、再度皮膚科へ。水虫じゃなく、湿疹っぽいとのことで、抗菌薬でよけいに皮膚がただれているよう。結局ステロイドになりましたよ。とほほ。